岩手県の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

岩手県歴史探訪
岩手県の概要
岩手県は、東北地方の北部(北東北)に所在し、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接しています。面積は15,378平方キロメートルで、日本面積の4パーセントを占めていると言われる国内最大級の広大で肥沃な土地で、北海道に次いで2番目に広い都道府県です。沿岸部は三陸と称され、 海岸は多種多彩な地形を有し、新鮮な魚介類が豊富なことでも有名です。

岩手のあゆみ
縄文時代中期(約5000〜約4000年前)の集落跡の大館町遺跡では、日本最大級高さ93センチの土器などが出土されており、現在も発掘調査は続けられています。縄文時代後期(約2,300年前)、東北地方にも弥生文化が伝わり、一部では水田も造られるようになりました。稲作の栽培条件は、決して好適地とはいえないですが、岩手県は弥生時代からの米どころであり、胆沢平野からは約2,000年前の水田の跡も見つかっています。

平安時代の初めには政治の拠点として胆沢城(奥州市)、志波城(盛岡市)、徳丹城(矢巾町)が建設されるなど、律令による朝廷の統一的支配が始まりました。しかし、朝廷の力が衰えてきた平安時代後半には、安倍氏、清原氏、藤原氏などの地元の有力豪族が力を増大させ、地方を支配するようになりました。

12世紀末、黄金文化を築いた藤原氏の政権も、四代泰衡が源頼朝によって滅ぼされ、岩手の地は再び外部勢力の支配を受けることになります。以後、戦国時代まで幕府の内紛や南北朝の対立等、中央政治の動向が岩手にも持ち込まれ、豊臣秀吉の天下統一まで岩手でも戦乱が繰り返されました。

近世の岩手県は、北半は南部氏の盛岡藩領、南半は伊達氏の仙台藩領となりました。後に盛岡藩から八戸藩、仙台藩から一関藩が独立し、4つの藩から構成されていました。明治時代に入り、維新直後は岩手県の行政区画は目まぐるしく変わりましたが、最終的には明治9年(1876)5月に現在の県域が決定しました。

昭和39年(1964)にいわて花巻空港が開港、昭和57年(1982)に東北新幹線が開通して、首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便は改善されました。これに伴って、安価で広大な土地や豊富な水などを背景に、北上市、金ケ崎町周辺を中心として工場の進出が急激に進展しました。その結果、製造品出荷額が大きな伸びをみせました。

現在は、2010年度を目標年次とし、ドリームランド岩手を基本目標に掲げ、トライできるチャンスを持てる社会、夢を夢だけで終わらせない社会、そうした未来志向の地域社会の実現に取り組んでいます。


岩手の名前の由来
この地名の由来は、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事にならうとされています。因みに実際に盛岡市名須川町の東顕寺の裏側にある「三ツ石神社」に三つの巨石がまつられています。


盛岡市の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 岩手県立博物館
住所: 〒020-0102
岩手県盛岡市上田字松屋敷34 [地図を見る]
電話番号: 019-661-2831
開館時間: 9:30〜16:30
※入館は、閉館の30分前まで
休館日: 月曜日(月曜日が休日の場合はその翌日)
資料整理日(9月1日から9月10日まで)
年末年始(12月28日から1月4日まで)
入館料: 一般:300円(団体140円)
学生:140円(団体70円)
※団体は20名以上
※学校教育活動で入館する児童・生徒を引率される方は無料ですので事前にご相談ください







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